先日夫に「なんとなくで生きるんじゃないという言葉を送った。
この時夫にこれを言ったのはもうどこかに記録として残しておくのもアホらしいほどに小さな事なんだけど、でも実は「なんとなく」生きていなければ大抵の事は怒られる事無く済むのではないかと思うんだよなぁ。

幼少期母から「疑問を持ちなさい」と時々怒られていたのだけど、割と近年までこれがどういう事なのか実はよく分かっていなかった。ぼんやりとは分かるけど、身に染みていなかったという感じ。
それどころかもしかしたら、この教えが本当の意味で自分の中で生きるようになったのは、夫の依存症が発覚してからかもしれない。

「疑問を持ちなさい」の意味は、「【何故/なんのため】にやるのか考えなさい」なんだとわたしは解釈している。

わかりやすい例を挙げるとするならば……
【掃除機をかける】のは何故かというと【部屋を綺麗にする為】なので、ただスイッチを入れてヘッドを前後左右に動かしているだけでは不十分だし、下手をするとその目的すらも達成できない事もある。【部屋を綺麗にする為に掃除機をかける】を意識しないと、ただその動作をしただけになっちゃう。

夫がGAに行くといって実は行ってなかった事件からまだ2カ月。
今でも時々「本当に行ってんだろうな…」と疑ってしまうし、更には最近フェローに出なかったり、出ても割と早めに切り上げて帰ってきたりする夫を見ていると、この【何故/なんのため】が夫の中で遠いものになってきているような気がしてしまう(まぁフェローに出る事が大事ということでもないのかもしれないけど)。
回復の場に行ってるだけいいじゃないかと言われればそれはそうなんだけど、でもなんというか…他の事でも【自発性に欠ける】と感じることが多々あって、それは普通の夫婦間だったらまだ目をつぶってもいいかな。と思える事なんだろうけど、この問題を抱えたわたしたちの間でそれはあまり良いことではないんだよなぁ。

夫に限ったことではないけど、最初の目的(動機)を忘れてただ一日一日を過ごしていく先にももしかしたら同じ結果があるのかもしれないけど、多分時々思い出さないと行動の意味が迷子になってしまって苦しくなるような気がする。
【何故 GAに通っているのか】
【何故 禁パチor断パチカウントをしているのか】
【何故 パチンコ、スロットをやめないといけないのか】
etc...

自分が今やっている行動に対して【何故/なんのため】を時々思い出してみた方が背筋が伸びてまた頑張ろう!って気持ちになれるんじゃなかろうか。

そして【疑問を持つ】事は当事者サイドだけに限った事ではなくて、家族サイドもやってみた方がいいと思う。
【何故 嘘をつかれてもまだ側にいるのか】
【何故 借金を作られても見捨てないでいるのか】
【何故 回復に前向きでない当事者の見守りを続けているのか】
etc...


ただし家族サイドの場合、この問いかけの答えが「本当はこうしたいんだけど…」とか実は別に望む答えがある場合は、本当に希望している答えに辿り着く為にどうしたらいいのかを考えて動いてみた方がいいんじゃないかなぁと思う。そっちに労力を割く方が、まぁ苦しくなくはないとは思うけど、苦しさの種類が違うのではないだろうか。

ちなみにわたしは【何故夫と夫婦を続けているのか】と問われたら【本人が回復への道のりを歩んでいるのでとりあえず様子見&自分が選んだ相手なのでそれが間違いでなかったかどうかを見極める為】と答えるかな。あ、もちろん愛情もあるけど、この関係は愛情だけではやっていけないのでその点は据え置きで

【なんとなく】で生きないで、【色んな事の意味を考えながら】生きてゆく方が、多分、得る物も多くて彩りも豊なんじゃないかな。と個人的には思うのです。
とはいえ突き詰めていくと果てしないので、ほどほどに

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妻その43