昔の自分は今と全然違った。
友人に褒められても素直に喜べないというか、自分に自信がないというか…。とにかく「ありがとう」とか「嬉しい」とか思うよりも「なんでそんな風に感じるんだろう?」って疑問の方が大きかった
どこか世界と自分との間に何かしっくりくるものがないような感じがしていたし、人間関係自体も「どうせ時期がくれば終わるもの」と思っていた。心のどこかで【終わり】というものを意識していたせいか、もちろんその人たちのことは大好きなんだけど、完全に心を開いてはいかなったように思う。
 いつ頃から色々と変わってきたのかはあんまり覚えていないけど、最初(?)のスイッチのようなものが入った時のことは覚えている。その時わたしは23歳だった。
詳細は省くけど、自分の望む形にならないことが苦しかった事案についてある日突然「別にその形にならなくてもいいや」と諦めがついて、 それと同時に色んな事が急に楽になった。
この時のことを今改めて考えてみると、多分それまでのわたしは、常に何かを望んでいたのかもしれない。それがなんだったのかはよく分からないけど、その望むものが手に入らないかもしれないという恐怖が、自ら世界を遠ざけていたんじゃないだろうか。
そんな怖れのようなものが、そのスイッチで良い意味で諦められたんだと思う。 自分が望む形にならなくてもそれはそれで認めようというか、予測できないからこそ楽しめるし大切に思えるんだと考えられるようになった。
それ以来、世界と自分が仲良くなれたせいか、それなりに悩みはあるものの毎日がものすごく楽しくなった。

そのあとは、肉親を含む幾人かの別れがまた、自分にとって大きな出来事だったんだろうと思う。
中でも叔母の死がわたしにとって衝撃的なものだった。
叔母はある日いつも通りパートに出かけ、仲間と談笑している時に突然倒れて亡くなった。 
知らせを受けてすぐに母が叔母の家に行ったのだけど、 炊飯器にお米が研いであったという話を聞いて、とても悲しくなった。
叔母にとってはその日もいつも通りの日常の予定で、帰宅後お夕飯を作ろうと何か献立を考えていて、でもそれは作れなかったんだな。って…。お料理上手だった叔母は、その日何を作ろうとしていたんだろうか…。
そんなことを思うと、突然やってきた【その日】があまりにも身近で容赦がなくてとてもショックだった。死って大概そういうものだと言われればそうなんだけど、 わたしにとってはその【研いだお米】がそれを実感させられたの。
そこからまた【人はいついなくなってしまうか分からないから、後悔しないようにしよう】って思うようになった。 
例えば喧嘩したり嫌な態度とったり言ったりした相手がその直後もう会えない人になる。ってことは現実に起こり得るんだから、そうならないようにしよう。もしくはその状態のまま放置しないようにしよう。って意識するようになった。
そうは思っていてもなかなか難しいんだけど(特に対家族)、 でもそれ以前よりも人間関係が更に良好になった気がする。

そんなあれこれを経て、今現在わたしは自分と親しくしている人たちみんなが愛しい。
関わってくれて、そばにいてくれてありがとう。って感謝している。

自分が変われば世界は変わるって本当だよ!
正確には世界そのものが変わる訳ではなくて、【世界と自分の関係性が変わる】or【世界に対する体感が変わる】っていう方が近いのかも。
少なくともわたしは、昔より今の方が楽しいし、何より生きるのが楽になった

そういう【やる気スイッチ】みたいなものが現れたら、絶対に悪いことにはならないので思い切って押してみたらいいと思う。

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妻その60