パチンコ依存症からの回復 〜夫婦二人三脚闘病記〜

夫のパチンコ依存症が発覚。それに対応する妻の奮闘と対応、夫の心模様や回復への取り組みを、それぞれのカテゴリで綴る夫婦共同執筆ブログ。

2018年03月

妻その43 疑問のある毎日

先日夫に「なんとなくで生きるんじゃないという言葉を送った。
この時夫にこれを言ったのはもうどこかに記録として残しておくのもアホらしいほどに小さな事なんだけど、でも実は「なんとなく」生きていなければ大抵の事は怒られる事無く済むのではないかと思うんだよなぁ。

幼少期母から「疑問を持ちなさい」と時々怒られていたのだけど、割と近年までこれがどういう事なのか実はよく分かっていなかった。ぼんやりとは分かるけど、身に染みていなかったという感じ。
それどころかもしかしたら、この教えが本当の意味で自分の中で生きるようになったのは、夫の依存症が発覚してからかもしれない。

「疑問を持ちなさい」の意味は、「【何故/なんのため】にやるのか考えなさい」なんだとわたしは解釈している。

わかりやすい例を挙げるとするならば……
【掃除機をかける】のは何故かというと【部屋を綺麗にする為】なので、ただスイッチを入れてヘッドを前後左右に動かしているだけでは不十分だし、下手をするとその目的すらも達成できない事もある。【部屋を綺麗にする為に掃除機をかける】を意識しないと、ただその動作をしただけになっちゃう。

夫がGAに行くといって実は行ってなかった事件からまだ2カ月。
今でも時々「本当に行ってんだろうな…」と疑ってしまうし、更には最近フェローに出なかったり、出ても割と早めに切り上げて帰ってきたりする夫を見ていると、この【何故/なんのため】が夫の中で遠いものになってきているような気がしてしまう(まぁフェローに出る事が大事ということでもないのかもしれないけど)。
回復の場に行ってるだけいいじゃないかと言われればそれはそうなんだけど、でもなんというか…他の事でも【自発性に欠ける】と感じることが多々あって、それは普通の夫婦間だったらまだ目をつぶってもいいかな。と思える事なんだろうけど、この問題を抱えたわたしたちの間でそれはあまり良いことではないんだよなぁ。

夫に限ったことではないけど、最初の目的(動機)を忘れてただ一日一日を過ごしていく先にももしかしたら同じ結果があるのかもしれないけど、多分時々思い出さないと行動の意味が迷子になってしまって苦しくなるような気がする。
【何故 GAに通っているのか】
【何故 禁パチor断パチカウントをしているのか】
【何故 パチンコ、スロットをやめないといけないのか】
etc...

自分が今やっている行動に対して【何故/なんのため】を時々思い出してみた方が背筋が伸びてまた頑張ろう!って気持ちになれるんじゃなかろうか。

そして【疑問を持つ】事は当事者サイドだけに限った事ではなくて、家族サイドもやってみた方がいいと思う。
【何故 嘘をつかれてもまだ側にいるのか】
【何故 借金を作られても見捨てないでいるのか】
【何故 回復に前向きでない当事者の見守りを続けているのか】
etc...


ただし家族サイドの場合、この問いかけの答えが「本当はこうしたいんだけど…」とか実は別に望む答えがある場合は、本当に希望している答えに辿り着く為にどうしたらいいのかを考えて動いてみた方がいいんじゃないかなぁと思う。そっちに労力を割く方が、まぁ苦しくなくはないとは思うけど、苦しさの種類が違うのではないだろうか。

ちなみにわたしは【何故夫と夫婦を続けているのか】と問われたら【本人が回復への道のりを歩んでいるのでとりあえず様子見&自分が選んだ相手なのでそれが間違いでなかったかどうかを見極める為】と答えるかな。あ、もちろん愛情もあるけど、この関係は愛情だけではやっていけないのでその点は据え置きで

【なんとなく】で生きないで、【色んな事の意味を考えながら】生きてゆく方が、多分、得る物も多くて彩りも豊なんじゃないかな。と個人的には思うのです。
とはいえ突き詰めていくと果てしないので、ほどほどに

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妻その43

妻その42 共依存

夫がこうなって生まれて初めて【パチンコ(ギャンブル)依存症】という病気があるのだと知ったわたしなのだけど、それと一緒に【共依存】という言葉も実は初めて知った。

昔は人との距離の取り方が今よりも全然へたくそで、頼られるとNOと言えなかったり、【かわいそうに見える人】に弱かったり。特に自分が好きな相手(男女問わず)にはすごく献身的になってしまって疲弊していたので、なるほどねー。と、すっかり合点がいってしまった

中でも特に世話を焼いてしまう友人がいたのだけど、彼女も今考えるとなんがしかの依存症だったと思う。多分買い物依存症と恋愛依存症だったんじゃないかなぁ…。
そして【他人との境界線】【放っておく】ということが出来る様になったのも、他でもない彼女のおかげ(?)なのだけど。

当時は彼女のことが大好きで、彼女の人生をとにかくなんとか良いものにしてやりたくて(この考えがものすごく傲慢)、色々世話を焼いては肩すかしをくらって怒ったり嫌になったりしてた。
その度に「もういいや。もう知らない!」って思うんだけど、なんだかんだと言い訳をされ、その度にじゃあ許そうってなり…その繰り返しだった。
今振り返ると、ある意味では【ものすごい相性が良く】ある意味では【最悪の相性】だな。これは。

目が覚めたのは、ちょっとした事件があり彼女のお母さんとお話する機会を持った時だった。
そこで初めて、彼女がわたしに嘘ばっかり吐いている事を知ってしまった。お母さんから聞くストーリーと、わたしが知るストーリーが全然違う。【彼女には一切非が無いバージョン】になっていた。
知らない間にわたしは彼女が好き放題やる片棒を担いでいたのだと知ってすごくショックだったし、彼女のお母さんにとっても申し訳ない気持ちになった。それ以上に、【年賀状か何かでわたしの住所を調べ、切迫しているというのに手土産にお菓子を持ってわたしの家に突然やってきた】ということが、なんていうか…お母さんがその道中どんな気持ちだったかを想像すると、泣きそうになった。

そこからかな。
物事には自分が知らない側面があることを改めて知り、他人の人生には自分は手が出せないと気付き、愛情のあるなしは関係なく、何かを選択出来るのは本人だけだ、ということが分かる様になったのは。

ちゃんと彼女には直接会って話したけど、最初はしんどかった。自分の気持ち(欲求)を無視するのは辛かったなぁ…。
でも断言するけど、そんなもんある程度頑張れば慣れるんだよね
そもそも自分の人生の全てがその子だった訳でもないし、他にもたくさんやることや考える事があるんだから、あっという間にどうでも良くなるんだよ。そしてすっごく楽になった
彼女との楽しい時間がなくなってしまったのは悲しかったけど、ずっと一緒に居られる訳でもないしね。楽しかった思い出だけで充分。

とはいっても元々がそういう素質があるもので、うまくいかない時もあるのだけれど
でも、【最初は辛くてもそのうち慣れる】という経験があるから多分大丈夫だと思う。なんでもそうなんだろうけど。
今でもやっぱり頼られると弱いといえば弱いんだけど、その対象が「どうにかしようと頑張ってる人には、力になれるように頑張る」というスタンスが取れるようにはなったし、「あ、これはひどい事になるな」という予測が出来る能力(すごく便利)が身に付いたので事前回避が出来るようになったのはとっても良かった

そんな経験があるので、今わたしが夫の回復の手助けというか見守りを続けているのは、夫が「回復しよう」という意思があるからであって、それがなくなったらもう手は出さないしわたしはわたしの人生に戻ろう。と決めている。
そんな日が来るまでは(来ないでくれると嬉しいけど)今までの経験を忘れずに、夫の回復の妨げにならないようにうまいこと立ち回って行けるよう日々頑張ろうと思う。

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