お久しぶりです。妻です。

少し前にふと思ったのでTwitterで表題について軽くつぶやいたのだけど、これをもう少し掘り下げてみようかな。なんて思ったので久々に記事書こうかなー。と。

前回からの流れなんだけど、今まったく心がざわつく事がなくなった。
理由としては、住宅購入に伴いお金の問題がほぼ片づいたことと、差し当たりもう引っ越しを考えなくて良くなった事など、先々の不安項目が少し減った事が大きいでしょう。
これまでがてんこ盛りだったからなー…

紆余曲折を経て、決して楽ではなかったものの人生の希望を叶えたということが、おそらくはわたしにとっての【底つき】に繋がったのではなかろうか。

もちろんここまでの間に相当やらせてもらったっていうのも大きいと思う。

わたしが夫にしてきたことは、この関係性でいうなればタブーばかりだったというのは自覚している。
でも、その時はそれをやらないと気が済まなかったのよね。
あの時それらを誰かしらの反対意見をのんで実行していなかったら…
もしもの話だから断言はできないが、わたしの場合は思った通りに実行させてもらえたことで実体験として色々勉強になったし、やって良かったと思う。

やり散らかしてやり尽くして、失敗したり、アプローチを変えてみたり諦めたり…とにかく全てを自分で考えて行動して経験して、おそらくは大きな部分では完全燃焼したのでしょう。

ここに関しては、色々な感情がありながらもわたしのやりたいようにやらせてくれた夫には本当に感謝している

ゴールが同じならば、ルートは一つじゃなくていい。というのはかねてから思っているのだけど、それぞれの性格や本来の資質的なものによって【どの方法が楽か】っていうのは選べて良いと思う。
どんな事にしろ、ある程度の無理や努力は絶対にしないといけないものだろうけど、その際、
【自分はどっちの方向(もちろんとんちんかんじゃない)への無理や努力】が出来るのか?
を知っておくことが大切なんだろう。

何にも考えられないくらいに苦しいときはまず何かを参考にするのは良いのだろうけど、そこから先できっと一番やっちゃいけないのは【思考を放棄する事】だと思う。
思考を放棄してしまうと【納得してないのにやらされてる感】が出てきてしまうので、身につかないってケースに繋がっていったり、その行動自体に過度な期待を抱いてしまったりするのではないかなぁ。
期待が大きいほどその方法が失敗してしまったときに腐った感情がわき上がるし、その度に再び何か別の「苦しい」が生まれてしまうからしんどいよね。
自分で考えて行動して失敗してもそれは自己責任だから、自分が反省すれば済むだけなので楽。

せめて【自分に合った方法を選ぶ】っていうことだけはサボらない方がいいんじゃないかな。
どんな方法をとるにしても、時々は立ち止まって、じっくり「これで大丈夫?」って自問自答してみるときっと大丈夫な方向に進めるようになるんじゃないのかな。

こういうことの繰り返しが、結果的には良い方向に進むための道しるべになるのだとわたしは思ってる。

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妻その56