気が付けばブログの更新を怠っている間に2019年になってしまっていた…
2018年のうちに振り返りができなかったので、これからそんなようなことをやります。

2017年の初夏にギャン妻デビューしたので今年の夏で3年生に進級するということだ。
振り返ると、最初の頃はとにかく知識を求めてあれこれ忙しかったなぁ。手探りで、初めて&突然訪れた状況を理解し立て直して行く為に、控えめに言ってももーーーーーんのすごく大変だった。

今思うと、当初わたしが夫に対してしてきたことはタブーだらけだったね。ははははは。
その時はそれがベストだと思っていたので悔いてはいないけど、夫はしんどかったろうなぁ。とは思う。でもまぁ何度か書いているけど、それも【一般的には】ということだと思うので、ケースバイケースで対応するのだって間違いとはいえないんじゃなかろうか。

色々情報収集していて思うんだけど、目にする対応方法の多くは【依存症者側への対応】であって、こちら側に寄り添った対応方法ってあんまり目にしないよなー。っていうのはかねがね気になっていた。
やっちゃダメ!って事も、家計や生活を共にしている場合は「じゃあどうしたらいいの?」って疑問を持つ人も実はかなり多いんじゃないのかなぁ。そういった点でも、ギャン妻たちには救いが少ないような気がする。

Twitterで依存症者側とも家族側とも交流しているけど、発覚直後の妻たちの苦悩は痛い程わかる。
人生の伴侶にと決めた人が自分を欺いて己の事ばかり考えて思いやりがなくなっていくのを間近に見て感じないといけないっていうのは、それはそれはショックなんだよね。大抵の場合経済的にも決して楽観できない損害がついてくるので、ほんと「どうしたらいいのかわからない。ていうかどうしよう!」っていうのが素直な気持ちだよね。そしてそれは前ぶれなく突然起こるのだし、パニック以外の何者でもない。
そんな苦悩の渦中にいる時には、アドバイスより先にその気持ちに寄り添ってあげたいと思っている。もちろん本当に行く先が見えない状態で「こっちに行けば大丈夫だよ」って示されると、「ああ、そうなのか。」って安心する人もいるかもしれないけど、少なくともわたしはまずは寄り添って欲しかったから。
個人的に一番やって欲しくないのは「共依存だからですよ」って伝えること。それはもっと後でいいというかそんなの多分本人だってわかってると思うし。いちいち第三者が言う事じゃない。
実際確かにそういう性質の人が多いんだろうけど、それ言われたらただでさえ苦しいのに「自分が悪いのか」って思ってしうまう人も少なくないだろうし。それに【依存症の人の側にいる人は高確率で共依存】ってフォーマットありきで話を進めていくのもちょっと良くないんじゃないかなー。とも思ってる。そもそもそういう関係性じゃない場合だってあるんだろうし、対応方法が同じだったとしてもその動機や考え方が違っている場合だってあるんだから、全てをそこに当てはめて考えてしまうのは「こういう症状だからこの病気です!」って、精密検査する前に決めつけちゃうようなものだと思う。あくまで【高確率】であって【絶対にそう】じゃないんだから。
でもね、この間ツイートしてギャン妻の方々から賛同していただいたのだけど、むしろ私たちがそういう性質だったことにまず感謝してくれてもいいんじゃないかなー。 だってそうじゃなかったら「支える」なんて選択肢なく、離婚まっしぐらコースしか残ってないんだから。そしたら借金も病気からの回復も全部 一人でやらないといけなくなるかもしれなかったんだよ?
それを想像してみて欲しい。やり方が間違っていようが憎みながらだろうが、一人でその荷を背負わせなかったんだからさ。いやそれどころか初期の初期はほとんどわたしたちが一人で持ってたと言ってもいいと思うね。

女性は強い生き物だとわたしも思うし世の中的にもよく耳にするから、そのうち自力で立ち上がれるんだと思うんだ。そしてその日の為に、自分にとってベストな方法や道を探す苦しみを味わう時間はあった方がいいと思う。最初に言ったようにケースバイケースなので、基本があった上でそこから試行錯誤してカスタマイズする時間は必要だよね。つまるところその関係独自の対応方法を発明しないといけないのだから、失敗だってあって当たり前なんだよ。
実際わたしはギャマノンには何度か行ったけど今はもう全然行ってない。全てを話せる家族や数名の友人がいたからっていうのもあるんだろうけど、とにかくそこに頼らなくても大丈夫だった。つい最近まで「なんであたしがこんな目に遭わないといけないんだ」って考えがあったし、夫への抑えようのない忌々しさとか怒りとか憎しみとかそういったものをずっと抱えて、それを時には夫にぶつけたし我慢しようとしてもめちゃくちゃ態度に出ていて夫にものすごいストレスを与えてた。一度はもうダメだ。というところまで行ったけど、そこまでいってやっと冷静に自分を見つめる事ができた。
自分の対応のまずかったところとか、我慢し過ぎた故に腐っていった感情とかそういった色んなものを認識して改善していこうと思ってるし、お金の事も(うちは幸いそこまで金額が大きくなかったということもあるけど)「もういいや」って思えるようになった。まぁそうはいっても今後も「あの時のお金が今あればなぁ…」っていうのは考えちゃうだろうけど、それにこだわる訳ではないんだから、考えちゃうくらいはわたしの自由だからまぁいいじゃん。

とにかく言いたいのは、みんなは悪くないよってこと。
よく見聞きする【相手の問題】っていうのは、【相手が病気になったのは相手の問題で、その原因や責任はわたしたちの側にはありませんよ】なのだと、わたしは解釈している。
そして【こちら側の問題】っていうのは、【どうやったら自分にとってベストな方法・道を選べるか】を考えることだと思う。

ギャンブル依存症者が一生そうであるように、その側にいる以上わたしも一生ギャン妻なので、ゆっくり色々考えていけばいいと思ってる

ついでに言うと、病気になった方も悪くないと思ってるよ。
ただ、【病気であること】を都合良く使ったり言い訳にするのはダメだけどね

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妻その54